とある人のエッセイ

色々と書きます。

映画 ドクター・デスの遺産 -BLACK FILE-

思うことが多い作品だったのでここに残します。

そのうち原作も読んでみたいです。

 


※以下、ネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

ストーリー内容

 実在した医師ジャック・ケヴォーキアンをモデルとし、安楽死をテーマにした作品。

安楽死を望む患者を募り安らかな死を与えるという連続殺人犯ドクター・デスを刑事の犬養隼人、高千穂明日香が追う。

(原作小説  「ドクター・デスの遺産」 中山七里)

 


安楽死は世界で認められつつあるが、日本ではまだ叶っていない。

今後日本で安楽死を認めるかどうか考える上で、それをテーマにしたこの作品を見ることに意味がある気がして映画館に足を運んだ。

 


ドクター・デスは安楽死を望む被害者、場合によってはその家族に依頼され殺害を行う。

その為、被害者の身内がドクター・デスを庇って供述を避けたり、嘘の供述をしたりする。

 

本来はありえない予想外なところで捜査が難航するのがもどかしく、そしてそれを掻い潜って犯人の特定、逮捕に近づいていくのにどんどん引き込まれた。


 2人は殺人犯ドクター・デスは悪であるという当然の意識を持ちながらも、被害者達の異様な姿を見て困惑、葛藤しながらも捜査をしていく。

 

 2人の心情が読み取れる場面が多く、

私も同じように、依頼者の意思をくみ取り犯行を重ねるドクター・デスは本当に悪なのか?それとも救世主なのか?そんな葛藤をしていた。

 

個々の意思が尊重されるべきだという風潮にある中で本人が死を選ぶのであれば例えそれが犯罪に当たるとしても尊重するべきなのか。

 

 

…そもそも死の選択を許さず殺人を認めないとすることが悪なのか?

 

 

どんどん殺人を容認する方向に思考が走っていく。

恐ろしく思いつつも、そうして頭の中が「異常」に塗れるのを面白がり、楽しんでいる自分もいた。

 

殺人は悪という常識、概念を根本からひっくり返されそうな危うさを持つ作品だ。

 


 真犯人雛森めぐみが最初にドクター・デスと共犯を疑われて取り調べを受けた際に犯行に関して肯定的な意見を示していたこと、犬養の娘の沙耶香が安楽死を望むように仕向け、殺そうとしたことから、ストーリーでも私の考えでも

 

「ドクター・デス(雛森めぐみ)は快楽殺人犯で悪である。」

 

という結論を出すことができた。

 

しかし、もしも本当に彼女が患者の為だけに犯行を重ねていたら、私はそのことが悪だと言いきれない。

 

むしろ連続殺人を肯定していただろう。

 

そう考えると、犯人に自分本位さがあって良かったと思う。

 

 雛森を逮捕し事件は解決するが、やはり安楽死は善か悪かという結論は出ずに終わる。

 

 

 

 

 

 

 


もしも、犬養への復讐に走ることが無ければドクター・デスは本当に"救世主"だったのかもしれない……。