とある人のエッセイ

色々と書きます。

教育に携わること

 幼少期に自分が経験したことって後々の自分にとんでもなく影響するなとつくづく思う。

 

 私は幼稚園の頃の遠足で行った博物館の雰囲気や展示物が怖くて大泣きしたことがある。

 

 今、博物館全般に行っても泣くことはないけど旅行で行った時はなんだかずっと落ち着かなくて怖い理由こそわからないけど、早く出たいと思いながらも周りに言えず我慢して見て回った。

こういうトラウマも子供の頃に作られることが多い気がする。

 

 さらにトラウマに限らず性格も幼少期の経験が直結しているように思う。

 

  私は幼少期、叱られる時に「お前は周りからこう思われている」と周囲からの悪評をでっちあげられた。

 

 客観的に考えればそれが原因で引っ込み思案で自己嫌悪感が強い性格になったのかもしれない(親には絶対面と向かって言えないし、親のせいにしてもしょうがないし嫌なので自分で直す気ではいる)。

 

 乳幼児期、小学校低学年くらいの子供は大人が思う以上に物事をどんどん吸収して自分を形成していくんだろうな。

 教わるまでは善悪の判断もつかない。幼い子供の教育の大切さは計り知れない。

 

 考えすぎだとは思うけど、私は子供が好きか嫌いかは関係なく、今の時点で子育てや保育士はできる気がしない。怖いし。なんだか荷が重い。。 教育者ってすごいよ。

仮面ライダーにハマってた話

 現在放送されているドラマで赤楚衛二という俳優さんがバンドマンの役を演じているのを見た。

 

 懐かしい。一時期、仮面ライダービルド見てたなあ

 

 赤楚衛二さんは万丈龍我、仮面ライダークローズ役として2号ライダーのポジションを演じていた。

 

 元々特撮が好きだったというわけではないけど(小さい頃に人並みに見ててそれっきり)

久しぶりに見た時、

昔見ていた特撮の雰囲気なんかが感じられて。

世界観だったり、ギャグのノリ感だったり、戦闘シーンのシチュエーションだったり・・・・・・。

 

そのまま懐かしさを味わいたくて見ていた。

 

 「特撮って戦隊ものとか仮面ライダーでしょ?子供が見るものじゃ?笑」

 

よくそういった意見を聞くこともあるし、私も元々どちらかと言えばそういう意見を持ってた。

 

でも実際に見てみると思った以上に面白かった。

ストーリーの内容は幼児向けと言うよりはむしろ少し重いくらいだった。

伏線回収もあればメッセージ性も深い。子供の頃は気づかなかった。

 

 

 今回はネタバレになるような話は控えるつもりだけども、1つだけ、驚いたのは

 

仮面ライダーは魔法のような特別な力で変身し、人々を助けるヒーローである。」

という私の認識とは違って

 

仮面ライダービルドでは、

仮面ライダーは人間達の科学力によって造られた軍事兵器であり、戦場に赴く。」

ってことだった。

 

軍事兵器と聞くと、ファンタジーのはずの仮面ライダーが急に現実味を帯びてくる。

実際にありえない話じゃない。

 

仮面ライダーは正義の味方ではなく殺し合う為の道具……。

 

 勿論戦争を題材にしているから幸せな話ではないし、実際親達からクレームが入ることもあったらしいけど、

それでも子供たちに戦争の悲惨さや命の大切さを伝えることへ尽力しているのが公式からも伝わってきてた。

 

凄いことだと思う。今の世代はゆとりなんて言われちゃってるし、教育でも事実を和らげて教えたり、なんなら教えないことも増えた気がしてる。

そんな中で事実を伝えることの大切さを見出して、子供向けの作品でありながら重い脚本を書いたんだと思う。

 

 こんな所も仮面ライダービルドに熱中した理由の1つ。

そのうちもう少し本編の内容も踏まえて書きたいな。

 

とにかく、子供向けで片付けちゃもったいない作品だった!

 

 偏見って厄介だなって実感した例。

 

寛容で柔軟な人になりたいね。

映画 ドクター・デスの遺産 -BLACK FILE-

思うことが多い作品だったのでここに残します。

そのうち原作も読んでみたいです。

 


※以下、ネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

ストーリー内容

 実在した医師ジャック・ケヴォーキアンをモデルとし、安楽死をテーマにした作品。

安楽死を望む患者を募り安らかな死を与えるという連続殺人犯ドクター・デスを刑事の犬養隼人、高千穂明日香が追う。

(原作小説  「ドクター・デスの遺産」 中山七里)

 


安楽死は世界で認められつつあるが、日本ではまだ叶っていない。

今後日本で安楽死を認めるかどうか考える上で、それをテーマにしたこの作品を見ることに意味がある気がして映画館に足を運んだ。

 


ドクター・デスは安楽死を望む被害者、場合によってはその家族に依頼され殺害を行う。

その為、被害者の身内がドクター・デスを庇って供述を避けたり、嘘の供述をしたりする。

 

本来はありえない予想外なところで捜査が難航するのがもどかしく、そしてそれを掻い潜って犯人の特定、逮捕に近づいていくのにどんどん引き込まれた。


 2人は殺人犯ドクター・デスは悪であるという当然の意識を持ちながらも、被害者達の異様な姿を見て困惑、葛藤しながらも捜査をしていく。

 

 2人の心情が読み取れる場面が多く、

私も同じように、依頼者の意思をくみ取り犯行を重ねるドクター・デスは本当に悪なのか?それとも救世主なのか?そんな葛藤をしていた。

 

個々の意思が尊重されるべきだという風潮にある中で本人が死を選ぶのであれば例えそれが犯罪に当たるとしても尊重するべきなのか。

 

 

…そもそも死の選択を許さず殺人を認めないとすることが悪なのか?

 

 

どんどん殺人を容認する方向に思考が走っていく。

恐ろしく思いつつも、そうして頭の中が「異常」に塗れるのを面白がり、楽しんでいる自分もいた。

 

殺人は悪という常識、概念を根本からひっくり返されそうな危うさを持つ作品だ。

 


 真犯人雛森めぐみが最初にドクター・デスと共犯を疑われて取り調べを受けた際に犯行に関して肯定的な意見を示していたこと、犬養の娘の沙耶香が安楽死を望むように仕向け、殺そうとしたことから、ストーリーでも私の考えでも

 

「ドクター・デス(雛森めぐみ)は快楽殺人犯で悪である。」

 

という結論を出すことができた。

 

しかし、もしも本当に彼女が患者の為だけに犯行を重ねていたら、私はそのことが悪だと言いきれない。

 

むしろ連続殺人を肯定していただろう。

 

そう考えると、犯人に自分本位さがあって良かったと思う。

 

 雛森を逮捕し事件は解決するが、やはり安楽死は善か悪かという結論は出ずに終わる。

 

 

 

 

 

 

 


もしも、犬養への復讐に走ることが無ければドクター・デスは本当に"救世主"だったのかもしれない……。